後方見聞録

基本的には自分のための備忘録です

理解するとは

何かを理解するために色々調べまわって(と言ってもほとんどインターネット上だが)なんとなく概略を理解できたつもりになって、忘れたころの俺だったり俺と同じような境遇の人が今の俺と同じようにウンウンなるほどねへ~と満足を得られれば良いのにと記事を書いているが、それを達成できるものになっているのだろうか。

悲しいかなもう昔であるが大学の時の先生が「わかりやすいと自称する本なんてクソだ、何故なら難しいことが何も書いていないだけだから」と言っていて、俺にとってこれはとても反感を覚える論説だった。(この先生の授業を5つ受けて合格できたのがたった1つだったという事は何も関係ないが) 何かを知りたい時、その何かの性質や何故知りたいかにもよると思うが、トップダウン的にとでも言うのか、概観を掴んでそれを徐々に具体的にしたり細かい事を知っていくのが一番よい方法なのではないのか、と思っているからだ。いきなり細かい難しい話をされてもほえ~と右から左に流れて消えていくだけであって、まずは「どこにどんなものがあるか」みたいなことから入って全体像を掴んでから、じゃあそこにあるのは何なの?とどんどんと掘っていくイメージだ。まずはわかりやすく理解出来る事から理解していくのは間違いなのか。

何かを知りたい時に、形から入るタイプなので本屋に本を探しに行く。しかし大体が結局「これだ!この本しかない!この一冊で俺は全てを理解する!!」という本は無くどれも一長一短で決定打が無く何も買わずに家に帰ってネットサーフィンを始めることになる。「世界には俺より賢い人が溢れているはずなのになぜ”バイブル”を書かないのか、完璧に必要な事だけしか書いてない一冊が欲しい、ないなら俺が書くしか無いのか、書きたい」と、いつも本をペラペラめくりながら思っていた。が、とてもバカなので最近やっと気づき始めているが、もしかして全ての本はバイブルになるべく書かれているのか。その人が必要だと思っている事のみを全て書いて。

結局人によってわかりたいと思う事も違えば、人によって理解しやすい学び方とか合ってる教わり方とかがあるのか。 その人の理解度に合わせた情報って何かとか、トップダウンなら徐々にステップアップ…掘り進んで行かないといけないが、その区切りをどこに置くのかとか。 俺の記事だって、俺にとっては必要な事を簡潔にまとめているつもりだが、きっと他の人からすると足りないものが沢山あるんだろうな。

しかし今もコレを書きながら、はるか昔に途中まで見ていた仮面ライダーOOOをどこまで見ていたのか調べるために簡単なあらすじを探していたがwikipediaの圧倒的な情報量に嫌気がさすのだった。
わかるとは何か。
本質とは。
俺は結局表層だけすくってわかったつもりになっているだけで何も掴めずに生きているのか。 だいたい毎日毎日必死に頑張って勉強してしてしているつもりなのに、先輩にちょっと小突かれて返せずに止まって病む日々である。こんな物を書いている場合ではないのである。

なんだか散らかってきたので今日はこんな感じで終わろう。答えを探す日々は続くのだった。
自分でも今の考えをちゃんと整理できてないのだから、これを他の人が見てもまたなんのこっちゃわからんのだろな。
俺は強くなりたいのだ。